前口上

 食べることが好きである。
 還暦を2か月後に控え、糖尿病と脊椎管狭窄症を患い身体はボロボロである。1日摂取カロリー1,800キロカロリーと医者に制限され、足への血流不全のため歩く速度は亀歩き、ただ60歳といえども、驚異的に平均寿命が伸びた日本人だけあって、白髪頭だけを除けば、肌の色艶は良く、まだまだ意気軒高なのは確かである(自分の思い込みかもしれないが)。そんな中、毎日の食事制限だけは苦しく、今までの暴飲暴食を悔やんでばかりいたのだが、それでは人生詰まらない、それを逆手にとり、私の糖尿病までの至りつくした食の歴史を公開し、また新しい食の出会いを紹介することで、これからの皆さまの食生活の向上に一役買うことができればと思い考案されたのが本企画の全国ソウルフードの旅である。
 それではソウルフードとは何じゃらほい、と聞かれると思い、その定義を述べさせていただこう。
 ソウルフードとはアフリカ系アメリカ人の伝統料理の総称のことを言うのだが、時がたつとともに地域共同体の特有の料理、その地域で親しまれている郷土料理のことと言う意味に変質されて現在に至っている。
 アフリカ系アメリカ人は奴隷移民としてアメリカに連れられてきた過酷な歴史があり、そんな民族の歴史の中で大事に育まれてきた伝統文化を彼らは<ソウルー魂>と総称するようになる。たとえば、その代表例がソウルミュージックであり、現在ではアメリカの代表的な音楽になっているが、同様に食文化も彼ら民族のアイデンティティ―を表す特有のものがあり、それを総称してソウルフードと言うようになる。民族固有の文化だけは、他の何物にも犯されたくないという、熱くて、重くて、深い<魂>の叫びがその<ソウル>という言葉にこめられているのである。本当は軽々しく使用してはいけないと思うのであるが、その認識を踏まえて、あえて日本の地域文化の中で長年育まれてきた<魂>の食を紹介し、もう一度<ほんとうのもの>に触れ食すことで、自らの地域文化を改めて考え直すきっかけになればと思っている。

 ここで登場していただく<日本のソウルフード>の選定基準は以下である。

  1. 特定地域において<長い歴史の中>で愛され続けている食べ物。
  2. 特定地域の人にはその味が<血(遺伝子)>の中に沁みこんでいる。
  3. 全国区の広がりを持ってしまった<フード>、それはソウルフードとは言えない。
  4. 生活の中に当たり前にあり続けていたので、地域の人にはそれがソウルフードという認識が余りない。
  5. いつの間にか消えてしまう危険度は孕んでいるが、またもう消滅してしまったが、ただ記憶には残り続けている(いつ復活するかわからない)。

 まあ、理屈はともかく、亀歩きだが旅に出てみたい。まずは近場の関東から探りを入れたい。

 新しさとは「古くならない」ことである。(小津安二郎)

 

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