No.103 東京都文京区千駄木のうなぎ「稲毛屋」、ハイレベルのうなぎ居酒屋であることは間違いない-うなぎ店考(100投稿記念十郎Now大好物④)。

 No.90でも述べたが、大のうなぎ好きである。ここはオジサンの大好物を紹介するコーナーなので、やはり、うなぎを取り上げなければ画龍点睛を欠く(何に欠くのかさっぱりわからんが)と思い、本日はよく訪れるうなぎ屋をご紹介したい。ただ今回ご紹介するのは、本格うなぎ屋ではなくうなぎ居酒屋である。うなぎを食べられる店は、現在、3ジャンルに分かれてきたように思う。一つは本来のうなぎ店、二つ目はうな串店、三つ目はうなぎ大衆居酒屋店。
 それぞれを具体的に分かりやすく説明すると、一つ目は鰻を食べることを中心としたうな丼、うな重を食べるためにある店。二つ目は、肝焼、ひれ、レバー、くりから等うなぎの内臓の串焼をツマミにして一杯飲む店。三つ目はうなぎを売りにはしているのだが、そのほかのおつまみも充実しているまさに居酒屋さん。さすがに資本主義経済の世の中は、人間の欲望に忠実にできているもので、酒飲みには一つ目はキツイ時がある。そして二つ目は、これは一人でさーっと飲んで帰る時には良いのだが、他者と飲むのにはあまり適していないように思うのである。そして三つ目は自由度が高くて良いのだが、中国産の質の良くないうなぎなどが出てきて、肝焼きなどは唖然としたようなものが出てくるので注意が必要な時があるのである。しかし、TPOでうなぎが食べらるのは、結構、結構、日本の商人は偉いのである。オジサンは昼にガッツリ食べたい時は1を、独りで飲む時は2を、他者がいる時は3と最近は使い分けている。

 しかし、斎藤茂吉先生*1には負けるが、今まで人生でどれだけうなぎを食べてきただろうか、餃子も好きでかなり食べてきたが、何故だか(やはり一生で食べる量が決まっているのかな)最近はあまり食べたいと思はなくなってきた。ところがうなぎは違う、まだまだ食べたいのである。そんな欲望を満たしてくれるのが、現在は「稲毛屋」なのである。この店を知ったのは、落語家の五代目古今亭志ん生*2の御贔屓のうなぎ屋で、師匠考案の親子丼がある店と知って、お伺いしたのが最初だったような気がする。もう15年ぐらいに前になるだろうか。初めの感想は、少し大衆居酒屋より値段は張るが、日本酒がものすごく充実していて(毎月日本酒の研究会をやっている)、ツマミも呑み助の心を擽るようなものが多く、従業員もしっかりしていて、さすが志ん生師匠いきつけ、非の打ちどころがないのであった。これはオジサンも贔屓にしようと何度か顔を出すうちに、店の人気はうなぎ上りになり、何日も前に予約を入れなければという店になってしまったのだった。

 そんなかんだで、本日も一週間前に予約をして、根岸の「萩の湯」でひと風呂浴び万全な体制で向かったのであった。場所は、西日暮里駅の南口を出て道灌坂を未だに東大進学率1番などというセンス悪いことを売りにしている開成高校を右に見て、坂のテッペンまで上がり、不忍通りを右に行くと、すぐ右にこじんまりと佇んでいる。予約をしているので余裕をかまし、予約時間5分過ぎに店の扉を開ける。いつも、うなぎを焼いている店主が明るい声で出迎えてくれる。いつもは2階席(座敷)が多いが、本日は1階席のテーブル席(テーブルと座敷)に通される。ご無沙汰しており半年ぶりの来店で心が躍る。まずは銭湯のサウナで汗を流してきたので、生ビールを注文。メーニューを眺める。いつもながら日本酒を中心に豊富な種類の酒が並ぶ。うなぎは、うな重の梅と肝焼きを事前注文しているので、酒の肴をじっくりと眺める。串焼きのうなぎレバーとヒレ、わさび漬けと味噌田楽を注文。因みにここ戦前からの祖業は鶏肉屋とあって、焼き鳥も新鮮で旨いのだが本日はパスする。まずゆっくりと酒を楽しもうと、ビールで喉を潤す。至福の時である。突き出しは昆布の佃煮。次々とツマミが登場し、次は日本酒の田酒(秋田)を所望。銀盤(富山)、菊正宗(灘)とオジサンの好きな三大日本酒である。しかし、糖尿なのでこんな時にしか飲まないが…。わさび漬けを舐めながら田酒を口に、良いのである。串焼きはどれも新鮮で間違いない。お変わりにまた日本酒と行きたいとこだが、そこは我慢、焼酎に切り替える。メーニューを見ると、森伊蔵が何と850円、ホンマかいなと注文してしまう。大好きな肝焼きをもう2本注文(これで肝焼きはオーダーストップ、他のお客さんに悪いことをした)。貧乏人は困ったことに安いと思うと森伊蔵をまた注文。1時間ほど小さな幸福を味わうのである。さて〆のうな重をお願いする。ここは関東風(蒸し焼き)と関西風(素焼き)があり、私は断然、関東風が好きなのであるが、ウナギのタレだけは関東の甘くない醤油タレよりもたまり醤油のタレのほうが(しかし、醤油は関東が旨いのだが)ベストかなと思い関西に軍配をあげたいと思っている。

 この「稲毛屋」創業は昭和2(1927)年で前述したように元は鶏肉屋で、名前は創業120周年東京・立川駅前に開いた「稲毛屋魚店」から東京都内を中心に多くの店舗を展開しいるうなぎ料理屋の「稲毛屋」と源流は同じだそうだ。さて20分ほどで、うな重(梅)が登場、さすがに本格うなぎ屋よりは、うなぎの質はいくらか落ちるが、これはこれで満足の一品。これで、漬物が奈良漬けならば最高なのだが、そこまで要求してどうするのだとの声が聞こえるのであった。しかし、大満足の夕食だった。ありがたやありがたやである。いや、もうこれ以上混んでほしくない店であるが宣伝してしもーた。いかんのー。尚現在は予約必須である。

 因みに、オジサンの知る東京のうなぎ居酒屋は赤羽「まるますや」、人形町「鮒よし」、蒲田「寿々喜」、錦糸町「三四郎」、平和島「あきば」、荻窪「川勢」。ついでに、うな串屋の有名どころでは、新宿しょんべん×(思い出)横丁「カブト」、自由ヶ丘「ほさかや」、国立「うなちゃん」、東中野「くにから」等があり、両方シンクロしているのがうな鐵グループの各店舗である(このグループは各店舗により差がありすぎるのでご注意を)。

*1斎藤茂吉(さいとう もきち)、明治15(1882)年5月14日 – 昭和28(1953)年2月25日歌人、精神科医。昭和の大歌人。文化勲受賞。著書に歌集『赤光』『あらたま』他、日本で一番ウナギを食べて人とも言われる。観音信仰を持っており、浅草寺には何度なくお参りし、詩人の田村隆一に、茂吉の Poesie の神さまは 浅草の観音さまと鰻の蒲焼/茂吉の歌は観音さまに行きさえすればよかったなどど揶揄される。長男は精神科医で随筆家の斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の北杜夫、孫は随筆家の斎藤由香。

*2五代目古今亭志ん生(ここんてい しんしょう)、明治23(1890)年6月5日 – 昭和48(1973)年9月21日、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。生前は落語協会所属。出囃子は「一丁入り」。戦後を代表する落語家の一人と称される。昭和48(1973)、自宅で死去。83歳没。墓所は文京区小日向の還国寺。現在では同じ墓に息子の3代目志ん朝も眠っている。家でよく飲んだ酒は菊正宗特級。蔵元から特別なものをもらっていた。なお、大好きな食べ物は納豆、苦手なものは漬物。

稲毛屋

所在地    東京都文京区千駄木3-49-4

アクセス             
千駄木駅から徒歩約6分
西日暮里駅から徒歩10分。

営業時間
水木曜日定休      
月,火,金:11:30~14:00(L13:00) 
17:00~21:30 (20:30)
土、日 :17:00~21:00(20:00)

TEL       03-3822-3495

ご予約    稲毛屋専用予約ページ