No.17 東京都足立区vs荒川区の「もんじゃ焼き」

 「もんじゃ焼き―後述・焼き省略」、名前はもう全国区?だろうが、食されているのは関東圏だけなのではと思う(東北の県庁所在地の中心部や札幌などのお好み焼き屋にはあるだろうが)。知り合いの関西人は「何で、こんなヘドロみたいなもの食べられるのか、わけが分からない」と言っていたが、私に言わせれば「あんなお好み焼きやたこ焼きのような粉物を、大の大人が毎日のように食べているほうが分からない」と返答したが、これだから食文化というのは面白いのである。
 この「もんじゃ」、私が初めて食べたのは、10歳ぐらいの頃だから、もう50年前になる。足立区の地元(花畑町)より少し離れた西新井か梅島近くの駄菓子屋だったような。おばちゃんが一人で営んでいる小さな店で、正方形の鉄板が一つ置かれていて、いくつかのパイプ椅子がそれを囲ってあり、洟垂れのガキどもがその椅子を占有し、おばちゃんが作ってくれる「もんじゃ」をキャッキャと騒ぎながら食べていた記憶がある。
 その頃「もんじゃ」などの食べ物は、市民権を得ていた食べ物ではなく、低コストで出せるギリギリの料理?を考えた時に生み出された下町の貧乏庶民の知恵のような食べ物だったのではないだろうか。うどん粉を水で薄めウスタソースのようなものを混ぜ、キャベツと天かすだけしか入っていなかった。しかし、子供には最高に贅沢なオヤツだったのである。それを考えると、よくぞここまで進化したものだと、オジサン、ただただ驚愕しているが、ちょっとやり過ぎ感も否めない。海鮮もんじゃなど、海鮮がかわいそうだろうし、あくまでもC級グルメなのだ、ぜいぜい明太子ぐらいまでにしてくれと、オジサンは思うのである。
 現在のように市民権を得た「もんじゃ」にとってはどうでもいいことだろうと思うが、ひと昔前にこの「もんじゃ」には発祥論争があり、様々な場所が名乗りをあげたのだが、現在は荒川区町屋か足立区日光街道沿い、かのどちらかに絞られつつあるのをご存じだろうか(浅草、月島説など、こんなものは絶対ない。具材で土手を作るのが浅草、月島方式。土手を作らず始めから汁と具材を一緒に鉄板に流すのが足立区、荒川区方式)。そう考えると、私は、その発祥地ではじめての「もんじゃ」体験をしたわけで、こりゃ断然頑張らなければ(何を頑張るのか分からないが)と「もんじゃ」に対する思いが募るのである。また、相手が荒川区だとなると、俄然テンションが上がるのが足立区民(私は今は足立区民ではないです)なのである。それは何故か、足立区、図体はデカいのだが、昔から何をやっても荒川区に勝てないのである。スポーツ、勉強何をやっても荒川区が上だという、この悲しい歴史は如何ともしがたく、私の兄などは足立区でサッカーの一番強豪中学でプレーをしていたが、荒川区の朝鮮中学と戦うと、完膚なきまでに捻られるというザマで、いつも悔しさで地団太を踏でいたが、その記憶が今でも夢に出ると言っている。また荒川区は勉強の方も足立区を越え、最後には日本一の進学校・開成中高校が控えているので、当然のごとく、そちらのほうでも捻られる。また有名人(スポーツ・芸能)の輩出でも断然差をつけられ、成すすべはないのである。そんな歴史の中で「もんじゃ」の発祥の地と芭蕉「奥の細道」初発の地の座だけは荒川区に譲りたくない気持ちは足立区民の誰もが抱いているのではないだろうか(ほんとうか?)。そんな中、私は最近、芭蕉「奥の細道」初発地の座は足立区にあるというエビデンス(証拠)をかなり掴んだのである。これは、今後、荒川区の「フライ」の章で明らかにしたいと思っている。
 何だか話が「もんじゃ」とはズレテしまったが、オジサン、「もんじゃ」はC級グルメの最高峰だとの思いはいつまでも変わらないだろうと思う。これ酒の肴にはオツなものである。腹に溜まらないしね。

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