No.51 神奈川県小田原市の「十郎梅干し」を食う、まさに共喰い気分。

 かつて現在注目の北条氏の御国(みくに)であった小田原市、現在では東海道新幹線と箱根への通過駅的感覚しかなく、よほどのことがない限り外部の人は途中下車をしないのではと思われるほど悲しい地域になってしまった。知り合いに何人か小田原在住がいるが、皆決まって「何もないよ」と同フレーズの言葉が返ってくるのである。
 私にとっての小田原と言えば、父親が仕事帰りに買って来てくれるお土産のアンパン(守谷製パン店-すごい量のあんこが入っている)と小田原の海岸に掘っ立て小屋を建て、小田原についての小説を書き続けた川崎長太郎※1である。後者などは、現在では小田原住民でも若者などにはほとんど知られてないのではと思うが(悲しいよなー)。守屋製パンのアンパンは小田原のソウルフードと言って良いのだが、本日は小田原の「梅干し」を取りあげようと思う。
 私、酸っぱい物が大好物であり、「すももの酢漬け」(あまり売ってない)や「梅干し」、夏みかん(はっさく)、梅干し飴(小梅ちゃん男梅等)他。酸っぱいものなら何でもごじゃれの人間で、小梅ちゃんなどは若い時は10分ほどで袋の飴全部をなめてしまうほどで、これが糖尿病の少なからずの原因だろうと思っている。
 そんな私が、ある時十郎梅の梅干しなるものを見つけ、この十郎なるもの、どこぞの十郎かと調べると、小田原の産。知らなかったが、小田原は梅の生産地としては有名で全国で食べられているのだと言う。
 そもそも、戦国時代、小田原に居城を構え勢力を広げた北條早雲が、梅干の薬効と食べ物の腐敗を防ぐ作用に注目し、城下および周辺に梅の木を植え梅干づくりを奨励したことがはじまりだそうだ。さらに戦場において梅干を紫蘇で巻き、泥などが付着するのを防いだ紫蘇巻梅干もこの地が発祥で、また江戸時代になると箱根越えの旅人たちが小田原宿でこの梅干を購入し携帯するようになり(『東海道中膝栗毛』にも登場)、小田原と言えば梅干しというのが、現在でもまかり通るようになるのである。梅と言えば、紀州和歌山だけと思っていたが、関東に梅の名産地があることを60歳なる現在になって知り、恥ずかしいやら情けないやらの気持ちで一杯になった次第である。
 この小田原梅は、現在では関東3大梅林(偕楽園<茨城県水戸市>越生梅林<おごせばいりん/埼玉県越生町>)にも数えられる「曽我梅林」を中心に栽培されているのだが、その中でも十郎梅は、50年以上も前に生息する梅の中から最も優れた品種として選ばれ、今では、曽我梅林で最も多く栽培されている梅なのだそうだ(何と喜ばしいことである)。
 早速食さなければと、一番初めに見かけた場所へ自転車に乗り全速力で向かったのである。場所は東京スカイツリーの東京ソラマチ4階にあるその名も「立ち喰い梅干し屋」(ここのオーナーは何とあの立川志の輔師匠の息子さん)で、全国の梅干しを立ち食いで食べさせ販売も行っているかなりレアな店なのである(現在では何店舗か増やし拡大中)。ありました「十郎梅干し」。立って食べるのは恥ずかしいので(オジサンこういうところかなりシャイ)、可愛いガラスの容器に入ったものを購入して、自宅に直帰し、さあ実食。

 食べるのにモッタイナイと思わせるセンスのよい容器の蓋を開けると、見た目はノーマルな梅干しだが、果肉を口に入れると、オッー最近は食べたことのないしょっぱさと酸っぱさの梅干し、小さな時にこんな梅を食べたなと思わせる古(いにしえ)の味。これがほんまもんの梅干しだと納得すると同時に、昔は塩鮭も夏みかんも、しょっぱくて酸っぱかったが、いつ頃だろうか、なんだか全てか穏やかな甘味のあるものに変わってしまったのは、と同時にゴツゴツした尖った味のある人間もいなくなってきたような気がするは、私だけだろうか。こういう梅干しを小さい頃から食べていると精神が締まった、違いの分かる人間になるのにもう手遅れなのだろう、そして日本人はだんだんダメになるのである。私も小梅ちゃんなどなめている場合ではなかったのである。
 オジサンもう棺桶が近いが、この十郎梅を食べて、自分の緩んだ甘えた精神性を、もう少し引き締め、味のある人間になるよう努力しようと改めて反省した次第である。
 そして「十郎よありがとう、十郎も頑張るよ。」と呟く十郎がいた。皆様も十郎を可愛がると同時に、十郎梅ご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

※1川崎 長太郎(かわさき ちょうたろう)
昭和5(1901)年11月26日 – 昭和60(1985)年11月6日、日本の小説家。小田原に生まれ。小田原を舞台に小説を書き続ける。特に小田原の娼婦街 「抹香町(まっこうちょう)」の女たちを描いて、抹香町の名を全国的に有名にする。文学を志して上京し、辛酸をなめながら精進続け36歳で小田原に戻り 、『抹香町』の冒頭部分の生活そのままに、小田原海岸の物置小屋に暮らしながら“ 抹香町もの”を発表した。24年間住んだ物置小屋は、今はなく、西湘バイパスを車が行き交うばかりである。
「小田原市は何故保存しなかったのか、バカだなー。」(十郎)

株式会社ちん里う本店(ちんりうほんてん)
住所:神奈川県小田原市栄町1-2-1
創業:明治4年
電話:0465-22-4951
FAX:0465-23-2535
公式HP:https://chinriu.co.jp/
メール:info@chinriu.com

立ち喰い梅干し屋
東京都墨田区押上1丁目1-2  4F 10番地 東京ソラマチ イーストヤード
電話番号:03-5809-7890
営業時間
10:00~21:00/年中無休
最寄駅:押上駅/とうきょうスカイツリー駅
公式HP:https://tachigui-ume.jp/