No.92 東京都文京区本郷の東京大学「中央食堂」の赤門ラーメンは何とも不思議?な味。これじゃ菊苗先生も情けなくて墓場で泣いていることだろう。(大学のソウルフード②)

 まさに雲ひとつない五月晴れ、こんな日に塒(ねぐら)に籠っていても神経によくないと、我が母校(ほんとうにツマライない冗談やノー)にでも足を運び、三四郎池を眺めながら殊勝にも今後のニッポンの行方についてなどを考えようと(そんなアホな)、ちょっくら自転車で母校(しつこいノー)向かったのであった。実はほんとうの目的は東大名物赤門ラーメンを食べて、最高学府の頂点の学生の舌は頭脳に比べて如何なものかを調査しようという目論見だったのである(暇だよな―)。東京大学(後東大)は30年ぐらい前、会社が近かったので、休憩がてらに寄らせていただき、今東光*1さながらモグリ(偽学生)で講義(和尚曰く、これを盗講という)を聴かせていただき(時効ですよね)、学食も何度も利用し、大変お世話になったところである。でも、その頃は赤門ラーメンなどなかったように記憶している。

 本日は弥生校舎(農学部)の正門より侵入し、駐輪場に自転車を置き、まずはプラプラと散策。いつもながら思うのだが、この大学の自由度には恐れ入りや鬼子母神なのである。現在はどこの大学(特に私大)もセキュリティが厳しく、部外者が入るのが難しくなっているが、ここは昔からフリーパス状態、さすがは東大、お主やるのーと頭が下がるのである。まー泥棒も東大ということで腰が引けてしまい、怪しい輩も入りづらいということなのかもしれないが…(ホントか)。大正か昭和前半にでも建てられたであろう重厚で風格のある校舎群を横目に見て、これ管理するのも大変だろうなと、要らぬことを考えながら弥生校舎(農学部)から言問通りの上の陸橋を渡り本郷校舎へ。土曜日なので学生も少なく、人も疎らなのだが、何故だか、世間様と同じように観光客風の異国人が多い、特に中国人ファミリーが目立つのである。東大ぐらいになると大学も観光スポットなるのか、まーこの広さとこの建造物群ならなってもおかしくはないかなどと、少し納得し、目指すは安田講堂下の「中央食堂」へと足を向ける。天高く聳える時計塔のあるシンメトリーな講堂は赤門と並び東大の象徴的な記念物。どこから見ても絵になるなーと感心しながら周囲を巡る。中国人ファミリーがここにも屯(たむろ)し、安田講堂にスマホを向けている。まさにビックリ下谷の広徳寺、何とも凄まじい光景見ているようで、逃げるように講堂の階段を降りたのだった。

 降りればすぐに目的の「中央食堂」入口。30年前と変化はみられないのに安心して中へ、しかし、目の前に広がる食堂内は以前とは変貌しており、何やらどこぞのショッピングモールのフードコートの佇まい。自販機らしきところに向かうと写真付きメニューが並ぶ画面が映し出されている。ありました、ありました、さすがに名物、一番の売りらしく画面左に赤々と赤門ラーメンの写真と値段が表示。財布から千円札を取り出し、自販機に札を投入しようとしたが、アレレ、投入口がない。マシンに弱いオジサンはブザマに立ち尽くす。学生らしき若者がここは自販機ではない、品物を受け取ってから、後からレジであるということを的確に指示説明してくれる(さすが東大生)。東大教授風を装っていたのに、バレバレである。恥ずかしくなりながらもそそくさと商品受け渡しフロワーへ足を向ける。定食、海鮮、スイート、ハンバーガー、さすが日本一の学生生協食堂である。そんな中で、ありました、ありましたラーメンコーナーの表示。厨房では生協のお母さんが麵を湯切りしている。赤門ラーメン(中514円税込み)を注文すると、おーっ1分もかからず丼が目の前に、アッパレ谷中の全生庵、驚きの早さである。見た目濃いあんかけラーメンのようにも見える。横の台の上に何でもごじゃれ(ニンニク、コショウ、ラー油、酢、粉とがらし)の調味料が置いてある(これはイイね)。酢は麵がなくなった後にスープに投入が私のスタイルだが、その場で入れなければならないのでパスし、テッシュに粉とんがらしを大量に包み、お盆に載せレジへ向かう。厨房を囲むように円形にテーブが配置されており、優に200人は収容できるのではないかという広さである。空いているテーブルに腰を落ち着け周囲を見渡す。何と学生は数えるほど、多いのは中国ファミリーで中国語が盛んんに飛び交っているではないか。ここは北京大学かと…。何ともここも凄まじい中国パワーなのである。何も子供など大学に連れてくることはないだろうと思っていると、ふっと閃いたのである。そうか、彼らは息子が北京大学に落ちたら、今度は東大を受験させようと、そのための東大見学なのだと、まさに本日はオープンキャンパスだったのである。これアタリだなと、自分の洞察力の深さに感心しながら赤門ラーメンの丼に箸を入れる。すでにスープ麵ではなく、汁なし担々麺のような風体に。

 まずは麵を啜る。味は何だか微妙な味。さて、麵はと、何の変哲もない中太麵、とうがらしを少し載せたので、辛いかなと思いきや、全然辛くない。舌にピリッともしない、おかしい。それならば先ほどのティシュに包んだ大量のとうがらしをラーメンにぶち込む。さすがにこれで辛くなっただろうと、アレ辛くない。と言うか、これはとうがらしなのか、こんなとうがらしがこの世にあるのか状態(コリアン唐辛子と言うらしい)、ただ、奇妙だが体はほのかに火照り出して来た。具はモヤシ、シイタケ、タケノコ、キクラゲ、ひき肉か、そして食べているうちに完全に汁がなくなりまぜそばに…。とうがらしはさほど問題ではないが、不思議なのは味である。出汁(ダシ)など効いてないので、ただ味のないタレをまぶしているような、そう「うま味」*2が何もないのである。どうしたらこのような味になるのか、製作者側はこれを食べているのか疑問である。何故うま味調味料を入れないのか。出汁が取れているのなら問題ないが、低コストで作らざるおえない生協なのだから、これは魔法の粉に協力をしてもらうべきだろうと苦言を呈したくなるのである。何故「うま味」を嫌うのか。それ以上にこれは東大教授であった池田菊苗先生*3に対する冒涜なのではと思ってしまうほどである。何のために先生が昆布から「うま味」を発見してくれたのか、調味料を製造したことで、どれだけ貧しい人々の食文化を豊かにしたか。世界中の人が絶賛しているのに、日本の訳の分からない味音痴の食通(こういう輩が跋扈している)が、<屁>のような味を推進し、魔法の粉に反対しているのである(こういう輩の大丈夫かよ体験をオジサンは数々体験している)。この味はまさに「うま味」調味料反対派の味である。こちらも東大の卒業生、日本一の健啖家子規居士がこのラーメン食したならば、卒倒し、我が母校よと雄たけびをあげるのでは。ほんとうにこれを東大生は食べているのか、学生の舌はこんなもの、これが学食なのだよ、と言ってしまえばそれまでだが、これだけ興味深い一品(ネーミングセンスは良いと思う)を編み出したのだから、もう少し内容を豊なものにしてもらいたいものだ。。ぜひとも菊苗先生の魔法の粉をひとふりお願いしたい。まあ、とにかく何がやりたいのか良くわからないラーメンを食べ終わると、周囲はまだ中国語が飛び交っていたが早々と食堂を出て、今度は、また菊苗先生をリスペクトしていた夏目漱石のゆかりの場所三四郎池に向かう。三四郎池というネーミングセンスはさすがに東大、お見事だが、こちらは赤門ラーメンと違い内容もお見事で、メディテーション(瞑想)には最良の場所である。

 さて、日本の将来について深く考察?したので、腰をあげ、また弥生校舎(農学部)の駐輪場へと引き返したのであった。
 自転車に乗り、正門の守衛さんに「さよなら」と挨拶をすると、ニッコリと笑顔で返してくれた。平和である。
 そして正門を出た時、ひょっとすると私が一番怪しい輩ではないかと自省し、今度訪れる時は赤門ラーメンの味が変わっているのを期待して、塒に帰ったのであった。

今東光*1(こん とうこう、1898年〈明治31年〉3月26日 – 1977年〈昭和52年〉9月19日)は、横浜生まれの小説家、天台宗大僧正(法名 春聽)、中尊寺貫主、参議院議員。
 <今は一高生の川端康成と親しくなったばかりでなく東大のもぐり学生となり、当時、一高、東大関係者しか入れなかった『新思潮』の同人となる。菊池寛は「あれは不良少年じゃないか、中学も出ていないくせに、君たちの仲間のような顔をして、大学の教室へ出入りしている。『新思潮』は元来、一高と帝国大学の卒業生で作られている。今東光のような不良少年に参加させるのは、伝統に傷つけるものだ」と言って反対したが、川端康成に「今くんを仲間に入れられないなら、新思潮をやる訳にはいきません」と言われて、しぶしぶ東光の入会を認める>
 ―函館ゆかりの人物伝より。さすが東光和尚は只者ではないのである。

「うま味」*2-「うま味」は5つの基本味(甘味・酸味・塩味・苦味)の1つで、おいしさを表す「旨味・旨み・うまみ」とは区別して使われます。「うま味」は、料理の「おいしさ」を生む大切な役割を果たしています。代表的な「うま味」の物質として「グルタミン酸」「イノシン酸」「グアニル酸」などが知られています。グルタミン酸はたんぱく質を構成する20種類のアミノ酸の中の一つ。また、イノシン酸、グアニル酸は核酸に分類されます。これらのうま味物質はさまざまな食品に含まれています―日本うま味調味料協会より
 そして外国人には、まだ、この「うま味」が分からない人々が多いらしく、日本人にも、まだ「うま味」が分からない舌音痴がかなりいるらしい。

池田菊苗先生*3-(いけだ きくなえ、1864年<元治元年>9月8日 – 1936年<昭和11年>5月3日)は、日本の化学者。学位は、理学博士(1902年)。東京帝国大学理学部化学科教授。「日本の十大発明家」と言われ、うま味成分、L-グルタミン酸ナトリウムの発見者として知られる「うま味」の発見者。日本人に「うま味」という味を舌に育ませ、現在の世界一と呼ばれる日本食の味を築くことが出来たのもこの人あってのことで、最大の功労者なのである。

東京大学 中央食堂
ジャンル 学生食堂

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