No.13 埼玉県西部、東京都多摩地区の「武蔵野うどん」

 麺食いである。特にそば、うどんのどちらかは、毎日欠かさず食べていると言っても過言でないだろう。ただどちらかと言うと、うどんの消費量が多いように感じる。なぜか、そばはアタリハズレが多いからである。と言うことは、うどんは、私にとって、そんなにどれを食べても抵抗がないからかもしれない。
 讃岐だろうと、博多だろうと、稲庭だろうと、氷見だろうと、シマダヤの袋麺だろうと、どれも旨いのである。いつもコシの強い麺でなければダメという讃岐の人の信念?など持ち合わせてないということである。
 そんな東京人の貧弱なうどん好きも、埼玉県西部、東京都多摩地区がうどんの名産地であるとは聞いていたのにも関わらず食べたことがなかったのも、これ、たいしてこだわりのない「うどん」好きだからだと言える。しかし、この「うどん」気にはなっていて、最近では都心でも「武蔵野うどん」という看板を掲げている店を見かけることもあったが、私には縁のない代物だったのである。
 武蔵野では「うどんが打てなければ、女は嫁に行けない」とまで言われた時代があったほどの「うどん」の生産地で、各地に多くのうどん店が散らばっている。この地域のソウルフードと呼ばれるのも肯けるが、まずは食べてみなければと地元に足を運んで見ることにした。
 しかし、とにかく面積も広く、「武蔵野うどん」と謳っている店もかなりの数に及んでいるので、どこで食べようかと選択に苦労したが、飯能市で江戸時代から店を構える老舗の「古久や」さんに白羽の矢をたてた。とその前に、

 「武蔵野うどん」とは何か?

  • 「武蔵のうどん」とは東京都北西部の多摩地域から埼玉県西部にかけて広がる武蔵野台地及びその周辺地域で、古くから食べられてきたうどんである。
  • 多摩川と荒川に挟まれていて、不毛の土壌(赤土)である関東ローム層に厚く覆われているものの、その上に作物栽培に適した黒土の腐食土層が堆積し、密度の高い関東ローム層は保水性に優れているため作物には理想的な地層構造になっている。しかし、大きな河川がなく、米作に不可欠な水源に乏しいため武蔵野地域は江戸時代から小麦・大麦を中心とした農業地帯として発展し、うどんは「だんご」(No.12参照)と共に、その代表的な食べ物になった。(「武蔵のうどん」PRチラシより)

 讃岐もどこもそうだろうが、「武蔵野」などという標語は、後からカテゴリー分けに人工的に付けられたもので、地元の人にとってはただの「うどん」なのではないか。 西武池袋線飯能駅に10時20分に到着。駅には何度か降りたことがあるが、街に出るのは始めだった。駅前は、いかにも西武線的駅前風景(わかる人にはわかる)だが、歴史文化の香りが漂う住民意識が高そうな地域のように感じる。旧繁華街の飯能大通り商店街を3分ほど歩き広小路交差点を右に曲ってすぐの所に、お目当ての「古久や」があった。年季が入った古民家風の建物で、聞けば昭和2(1927年)に建てられたとのこと、江戸末期創業で現在の店主は6代目、この建物、江戸期のとそう変わりはないらしい。いわば食べながら江戸時代にタイムスリップできるのである。
 開店20分前に到着したが、先客が5名ほど椅子に座って待っていた。待っている間に注文をし、5分前に開店、中に入る。目の前には20畳ほどの座敷に4人掛けの座卓が8卓。そういえば母親の故郷・山形のそば屋がこんな感じだった。座って15分ほどして、肉汁うどん(並み)のあつもりとイカ天が運ばれてくる。肉汁うどんは「武蔵野うどん」では定番で、肉南蛮うどんをつけ麺にしたものというのがわかりやすいと思う。汁はかつお出しで甘めである。驚いたのは麺で、コシ強さは讃岐以上で、つるりとした感じはなく、今まで食べたことのない食感であり、お美味しいうどん粉にはこういう旨味があるのかと思わせてくれる一品だった。うどんも奥が深いのだなと、そば食いの私も感心させられた。
 そして、「うどんは讃岐だけじゃないぜ」と讃岐の人に対して心の中で叫んでいる自分がいた。それよりこの店、ひっきりなしに人が来る。

古久や (こくや)
住所:埼玉県飯能市八幡町6-9
西武池袋線飯能駅北口を出て駅に背を向けたまま250mほど進み、飯能駅前の交差点を左折して350mほど先の広小路交差点を直進して100mほど先の右側。飯能駅から463m。
営業時間:11:00~14:10(L.O)
定休日:日曜日・祝日
お問い合わせ:042-972-3215

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