No.89 愛知県名古屋市中区の救いの神「昔の矢場とん」 錦3丁目店で酒を飲みながら味噌文化に思いを巡らしたのであった。(名古屋めし食いつくし編④)

 名古屋の食と言えば、きしめん、ういろう、八丁味噌というのが定番であったが、最近はういろうを食べる人は少なくなり、ういろうの代わりに「櫃(ひつ)まぶし」が入るのかもしれない。そして、その中でもやはり名古屋といえば八丁味噌をイメージする人が多いのではないだろうか。先述(No. 86)した通り、私の父親は愛知県出身だったが、自分の故郷はこのうえなく嫌いだったが、味噌だけは、八丁味噌でなくては許せないらしく、我が家では、必ず味噌汁は八丁味噌だった。それ故に私も父親ほど八丁味噌愛はないが、お店で赤味噌の味噌汁が出てくると、何だか癒された気持ちになったものである。解剖学者三木茂夫*によると、食べ物の好みは代々遺伝されるらしく、やはりご先祖さまが良く食していたものが血に浸透し、それが受け継がれていくものらしい。当たり前といえば当たり前のことだ(食べることは生物において生きるための根本なのだから食の好みも遺伝しない訳がない)が、私と父親の食の好みも非常に似ているのであった。特に名古屋人のあんかけ好きは有名だが、父親は蕎麦屋に行くといつもあんかけうどんを注文していたが、私もあんかけうどんが大好物である。それでは、八丁味噌の味噌汁を作らされていた山形出身の母親はそれを好んで啜っていたのか。驚いたことに父親が死んだ後に、食卓には山形の麴味噌の味噌汁は出てくるのだが、何故か食卓から八丁味噌の味噌汁は消えたのであった。「ひょっとして八丁味噌嫌いだったの、ずーっと我慢していたの」とさすがに私は尋ねたが、「そんなことはないはよ」と苦笑っていたが、食い物というものに恐ろしさを<ほんとう>に感じた一コマであった。故にまさに、これぞ日本人のソウルフードと言わず、何と言おうかなのである。

 さて、大須から栄の宿に帰って、人の多さと名古屋の暑さにヘトヘトになり、ベッドに横になりながら天井を見つめる。頭に過るのはサウナで汗を流し、チンチンの生ビールを飲んでいる自分の姿、早速、近くのサウナ情報をタブレットとで探す。ほんの数分のところに日帰りサウナがあるホテルを見つけ、早速重い腰をあげ向かったのであった。まだ開業してから2年ほどなので、館内真新しいく、清潔感が漂っていて、OK、OKなのである。フロントで1,200円を払い、いざ入浴。まあ小さなホテルなので、風呂は狭いが結構、結構。しかし、コロナ明けで、ここも異国の人だらけで、日本人は私一人、また彼らが去ってしまったら商売が成り立たないなという危険性を孕んでいることを認識している日本人はどれだけいるのだろうか。いつものことながら、性格が狭隘で、細かいくせに、大きな未来にたいしては、行き当たりばったりなのがこの国のお国柄なのである。サウナの中でそんなことを思い、般若心経を唱えながら、汗を出し、水風呂に入り、整ってホテルを出たのであった。次はビールだなと、店を探そうと周囲を見渡すのだが、ギャビーン日曜日この界隈は東京の神田状態で、エンプティで、もぬけの殻状態。店もどこもクローズド。このまま、狭窄症の足で店探しをすると、どういうことになるのか、サウナ甲斐なし、汗ダク状態になること必至で、何故店を決めて宿を出なかったのか、後悔しきりで天を見上げるのであった。そして、いつもながら自分の詰めの甘さに、俯き加減でトボトボと街を彷徨う孤独なオジサンがいたのであった。5分ほど街を徘徊しても17時だというのにどの店も開いている気配はない。身体中から汗が吹き出しシャツに染みて来る。交差点に差し掛かり、ふと対面(トイメン)の信号を見上げると、化粧まわしで四股を踏む豚ちゃんの絵が目の前に、その横には朱色で「昔の矢場とん」という文字が…。おおーっと、これは先ほど大須でお出ましなった、だが余りの行列で諦めた、あの「豚ちゃん」なのである。ここにも「豚ちゃん」が存在してたとはと、早足で「豚ちゃん」の前に。しかし、おかしいのである。行列はできてないし、営業しているのか?所在なげに中を覗くと、お店は2階らしい。ただ階段脇には営業中の看板が…。ここは決心して階段を上り、店のドアを開ける、と若い溌溂とした声の「いらっしゃい」が店内に反響する。店内を見渡すと客は0人。私が一番客のよう。大須の行列は幻だったのか、それとも違う店なのか、少し不安になったが、案内された右端のカウンター席へ。

 フロアーは窓側に4人掛けテーブル席が4卓、真ん中に8人掛け1卓、カウンター席が15席ほどある。厨房には3人ほどの従業員がいるが、店内には5人ほどの若手スタッフが待期している。とにかく店を見つけられたのがもっけ物、そして、その店が名古屋の超有名店「矢場とん」であるならば、先ほどの不安も払拭されるのである。ただ、この「昔の」とは何なのか。「矢場とん」は銀座や東京駅にもあり、「ロースとんかつ」や「わらじとんかつ」で馴染みがあるが、この「昔の」はそのかわり、「ロース串かつ」(税込み150円)や「味噌おでん」「豚角煮」「大根」(いずれも同300円)、「どて煮」(同500円)といった単品メニューがあるとんかつ屋「矢場とん」の居酒屋版なのである。実はこの店、矢場で創業(昭和22<1947年>)時は、定食屋でスタートし、スタイルとしては「昔の矢場とん」に近かったそうで、こちらが元祖に近いという。酒好きの私にとっては、こちらのスタイルのほうに惹かれるのであるが、そもそも「矢場とん」自体が初体験なので、初発がこのスタイルなのは良かったのか、悪かったのかだが、東京にはないスタイルを体験できたのは幸福なのだろう。さては、まずはじめに人気一押しメニューの「とん呑みセット」―お酒<好きな飲み物>と名物のロース串カツと味噌おでん―(1500円)。そしてえびふりゃー(700円)、豚もつ5本(1本150円)を注文。お通し代(枝豆と小鉢-308円)が付き、ツマミはこれで完璧だぎゃな。生ビールが到着。ググっと飲んだら、ツマミが現れる前に無くなる。慌ててハイボールをお替り。5分ほどで、ツマミの串カツが目の前に、そして直ぐに味噌おでんも到着。串カツはいい塩梅に味噌が輝き、活きている。口に頬張ると、さすが程よい甘さの仕上がり、よく練れた、出汁の効いた味噌である。洗練とはこういう味噌ソースを言うのだろう。そして味噌おでんは、大根と玉子と牛筋三品が入る。これも嫌味がなく一級品の味噌おでんと言えるのではないだろうか。八丁味噌文化の名古屋でこそ作れたものだろう。東京ではこうはいかないような気がする。酒の追加でワンカップ鴨鶴(広島県)を注文。このお酒も良い塩梅で、豚もつも臭みがなくてイイ、えびふりゃーも軽い油で凭れずに、大満足の名古屋の一夜になったのであった。最後の〆にラーメン(630円)を食べてりると、90分ほどの滞在だったが、店は満席で大賑わい、スタッフも良く指導をされていて、小気味いいのである。「矢場とん」はどこも行列で一杯だが、ここの土日の早めならば、並ばずに入店できるかもしれない。ただくれぐれも「昔の矢場とん」は東京には進出しないでいただきたい。実は関東人には八丁味噌の味が余りわからない輩が多いみたいなので…。あの山本屋(味噌煮込みうどん)も浅草に店を構えたが、あえなく撤退したのであるから。

 *三木茂夫-(みき・しげお、1925年12月24日 – 1987年8月13日)は、香川県丸亀市出身の解剖学者、発生学者。生前に出版された本は二冊(『胎児の世界』中公新書、『内臓のはたらきと子どものこころ』築地書館)にすぎないが、死後続々と遺稿が出版され、解剖学者・発生学者としてよりも、むしろ特異な思想家・自然哲学者として注目されている(ウィキペディアより)。

昔の矢場とん 錦3丁目店
居酒屋、おでん、串揚げ
お問い合わせ      
050-5590-0408             
予約可
住所:愛知県名古屋市中区錦3-14-9 アロン錦 2F栄駅から徒歩2分
栄駅(名古屋)から234m
営業時間             
月曜から日曜 17:00 – 02:00
■ 営業時間
※12月31日、1月1日 定休日
1月2日、3日17時~23時
1月4日、5日17時~24時
■ 定休日
年末、年始